こんにちは、茅瑛です
今日もお寄りくださってありがとうございます
今日は未だ真っ只中の「コロナ禍」の中で
私が感じたこと、見えたものについて書こうかと
思います
「なんでこんなことが起こるの?」
って思いますよね?
2年前には想像もできなかったこの状況
いつまで続くのかとうんざりします
『起きることすべてに意味がある』
ってフレーズはスピでよく使われるもので
私も少なからずそう思っているところはあります
ただ
『起きたことすべてに意味は見いだせる』
って感じで捉えています
振り返ってみたら、あれも学びの機会だったね
くらいな
だから起きた時から『意味』なんてわからなくて
終わって振り返ってみて
「ああ、そういうことだったのか」
ってわかる感じがするっていうか
そして今回のコロナ禍
まだ真っ只中だけど
人それぞれに『自分にとっての起きたことの意味』を
感じられているのではないかと思います
「コロナによりステイホーム生活で家族との時間が増えた」
って人もいれば
「(旦那さんのテレワークで)一人になる時間てすごく大切なんだってわかった」
とか
「人の顔が見えないとこんなに不安な気持ちになるんだ、私って」
とか、逆にマスクできるから安心できるようになったって人もいるかと
それぞれ見えたこと、気づいたことがおありじゃないかなと
そして私といえば
このコロナ禍で見えたものは二つありまして
相手を認め、赦すことは、自分も認められ、赦されること、それは愛
いつ死を迎えても悔いがないように、いまを生きよう
このふたつ
マスク着用に関して世の中は賛否両論
(ワクチンの話しもそうだけど)
着用を推奨する人はノーマスクの人間を批判し
ノーマスクを推奨する人はマスク着用者を批判し
つねに水掛け論の終わりのない議論がいろんなところで交わされております
ここではマスク着用の是非を争うつもりはないので、そこはスルーします
(そこがしたい話じゃないから)
私がここで書きたいのは
「あなたがマスクを着用したいという望みを認めるから、私がノーマスクでいることを同じように認めて欲しい」
と私が望んでいることに気づいたということ
最初はマスク着用のデメリットや意味の無さを
マスク推奨者に「目を覚まして!」くらいな感じで呼びかけていたのですが
(うざ)
雲黒斎さんのYouTubeを観て
「ああ、そうだ
相手にその行為を『やめさせよう』としてはいけないんだ
だって私もマスクしたくないんだもの
私が『マスクをしたくない』ってことを認めてもらえばいいだけなんだ
だから
相手が『マスクをしたい』っていう気持ちも認めればいいんだ」
って
その「認める」ということがいわゆる
「赦す」=「愛」
ってやつなんだ、と
(許すとは違う)
私に気づきを与えてくれた雲黒斎さんの動画はYouTubeはこちら
あんまりあーだこーだ書くと表現がズレていきそうだから
これ以上書かないでおく
これにまず気づいたわけ
うん
そしてもうひとつの
いつ死を迎えても悔いがないように、いまを生きよう
私、今回のコロナ禍ですごくショックに感じたことがあって
それはもう70数年、80数年生きてこられたであろう方々がテレビのインタビューで
「若者たちがフラフラと外に出回って遊んでけしからん。年寄りを殺す気か」
といったテンションの言葉を口々にされていたこと
いや、これもマスゴミの演出かもしれん
より過激な、ショッキングな映像を作ろうと演出したのかもしれん
でも世間は「これに異論なし」の空気が漂ってた
免疫力、抵抗力、体力の落ちている人を守ってあげましょう
あなたの軽率な行動が大切な人の命を奪います
ってね
いや、私はビックリした
70数年、80数年生きてきて
明らかに若者たちよりも多くの経験を済ませ
大変ではあったろうけれども青春時代を既に終えられた方々が
「自分たちのために、お酒を飲み交わしたり、会いたい人に会いに行くのをやめろ」
と堂々と思っている、言っている姿に
そうなのか?
そうなの?
普通、その歳まで生きたら
「いつ死んでも悔いなし」
って思わないの?
「老い先短い私たちのことはいいから、(死亡率ほぼゼロの)若い人たちは、いまを思う存分楽しみなさい」
って言わないの?
そのお歳になってもまだ「生きる」ということにしがみつきたくなるの?
いやだ
いやだ
70、80になった時にそんなふうに自分の命にしがみつくような人生はいやだ
いつこの命が尽きても
「我が人生に悔いなし」
と言える毎日を歩もう
「私は思う存分生きたから、あとは若い人たちに譲るわ」
といつでもそう言える毎日を過ごそう
そんなことがコロナ禍で
私が見えたもの
気づかされたこと
念のためもう一度書きますが、『マスク着用の是非』や『後期高齢者の発言の是非』を説いているのではありません
私がコロナ禍でなにを感じ、なにを見たのかのお話を書いただけ
このブログが届くことで「ずっとなにかモヤモヤしていた理由がわかった」という方がいらっしゃるのではないかと思って書きました
このブログを読んで「怒り」を感じられたのであれば、それはあなたの中の問題であり
自分の中のなにが自分に「怒り」を感じさせているのかを冷静に見つめられることをお勧めします
ええ、あなたの中の問題だから
気づきとはそんな形で訪れることもあります
※以上の見解は私が所属する組織・団体の意思意向を代表するものではなく、またこの見解が組織・団体に反映されるものではありません
って書かないと勘違いする人いるから~w