よく物事に行き詰ったり
成長が鈍化したように感じたり
周囲の事象が自分の進行を妨げているかのように感じるときに
「ありがとう」を1万回言うと世界が変わる
って聞いたことありませんか?
それは狂人の独り言でしょ
私は本当にこれが嫌いで
だって意味がわからない
なにか感謝されることが起きたり、してもらえたならわかりますが、なにもない時でも
「ありがとう」
と言い続けるのは、ノイローゼで独り言をつぶやいている人となんにも変わらない
だから実際にやったことはありません
(嘘、少しはチャレンジしようかなと思ったけど、たぶん10回くらい言って馬鹿馬鹿しくなってやめた)
だけれど
私は「ありがとう」を1万回言わなかったけれど、世界が変わった
たぶん一番大きな変化は『旦那さんとの関係』
旦那さんとの楽しくない関係
それまで旦那さんの顔色をビクビクしながら窺って
友人との飲み会が決まったことを告げるのも、旦那さんが機嫌の良い時を窺って
子どもたちが旦那さんの気に入らないことをすれば、先に咎めて旦那さんの機嫌が悪くならないようにして
朝起きてきて不機嫌にしていたら「昨日なにか悪いことしただろうか?」「朝の起こし方が悪かっただろうか?」「もしや今日会社、少し遅めに出るのに早く起こしすぎたのだろうか?」とかとかとか
私がいまの事業を確立するまでは、とにかく迷走しまくって、家族に、家計にたくさんの迷惑をかけ続けてきて、肩身の狭い思いを自分が抱いていたというのもあいまって、旦那さんの一挙手一投足に本当に毎日、毎時、毎瞬ビクビクしていました
実際、旦那さんもそんなふうに迷走している私を見ては呆れ、苦虫を嚙み潰したような顔をなにかとしていて、実際機嫌はいつも悪かった
でもある時からコロッと旦那さんの態度が変わるんですね
それは別に旦那さんが変わったんじゃないんですよ
私があることをやめることから始まります
自分を責めるのをやめよう
前記のように家族に家計にいろいろ迷惑をかけていたのだけど、それは常に「自己肯定感」「自己受容感」「自己重要感」「承認欲求」を満たすため
いつもどこかで「要らない私」という見えないレッテルに怯えながら過ごしていたから
それを満たすために「稼げる私」「経済的独立を果たした私」になるべく、やれMLMやら、自宅サロンやら、健康体操教室の講師やら『私が役に立つ場所』を探して迷走していた結果でした
「ああ、これじゃ、ダメだ、そもそも自分が自分を認めていない」
そう気づいたときに、全力で自分を肯定することにしようと決めました
もうちゃんと掃除できなくても、ちゃんと美味しいご飯作れなくても、ちゃんといつもニコニコしていなくても、自分がやっていることを責めるのをやめようと決めました
とにかく自分をそのまんま認めてあげることだけしました
そうすると見えてきたんですね、ある景色が
相手は自分に笑っていて欲しいと思っている
自分を責めるのをやめた私はとにかく怒ることが減りました
旦那さんの顔色を窺ってビクビクすることが減りました
明らかに眉間のしわが減りました
そうなるとどうなったのか
旦那さんの機嫌が良いことが増えたのです
気がつくと旦那さんも笑っている
なんか私に対して優しい言葉をかけてくれるようになっている
おかしい
何が起きたんだろう
そしてふと気づいたんです
「私が機嫌が良いから、彼も機嫌が良いのか?」
それは感情がただ伝播しているだけではないことはわかりました
私が機嫌良くしていることがもしや嬉しい?
となると、ちょっと待て
もしやいままで彼が不機嫌になっていたのは
「旦那さんの顔色をビクビクしながら窺っている」
⇒なんだ?自分が怒ると思っているのか?俺は嫌われているのか?
「友人との飲み会が決まったことをビクビクしながら告げる」
⇒なんだ?俺の顔色伺って、そんなに信用できないのか?
「子どもたちが旦那さんの気に入らないことをすれば、先に咎めて旦那さんの機嫌が悪くならないようにして」
⇒なんだ?俺は子どもたちのために言っているのに、そんな言いがかりみたいなことを俺が言うと思っているのか?
「朝起きてきて不機嫌にしていたら」
⇒なんだ?俺が起きてきてもちっとも嬉しそうじゃないぞ、俺の顔が見た良くないのか?
のロジックだったのでは?!と気づいたんです
そう、私が幸せそうにしていないから、彼は「自分のせいで彼女は幸せそうにしていないのかも」と無意識に感じていたのです
これに気づいた時の衝撃たるや
言い古されておりますがまさに「目から鱗」
「ありがとう」は周りの人が、あなたを幸せにしていることに気づけるために
「ありがとう」と言うのはあなたの中に感謝の気持ちを育てたいんじゃないです
「ありがとう」は幸せな時にしか言えないものです
(だから本当は無理矢理言うことじゃないんだけど、言っているうちに気づくってこともある)
「ありがとう」を1万回言わなきゃいけないんなら、その間あなたはずっと幸せな気持ちで過ごしているということ
そうしたら、あなたは笑顔になっているはずでしょ?
嬉しそうにしているはずでしょ?
そうしたらね、あなたの周りにいる人が、一緒にいるあなたが幸せそうにしているのを見て
「ああ、なんか幸せそう、嬉しそう、自分が一緒にいて幸せそうにしているってことは、少なくとも、自分の存在はこの人の迷惑にはなっていないんだな、むしろ自分と一緒にいられて嬉しいって相手も思ってくれているのかも」
って、相手も幸せな気持ちになるんですよ
人は幸せな時は怒らない、不機嫌にならない、悲しそうにしていない
だからあなたに優しくなる
だってあなたが自分を好きていてくれると思えるから
だったら自分はここにいていいんだな
この人のそばにいていいんだな
心地いいな、ここにずっと座っていたいな
そう思えるんです
だから「ありがとう」は周囲の人にダダ漏れするくらい、「ありがとう」オーラを出さないといけないんです
修行のように無になって「ありがとう」を唱えていてもダメ
周りの人に伝わるように「ありがとう」を唱える
だから1万回言わなくていい
一日たった1回のありがとうでも充分だ
「ありがとう」はあなたの中に感謝の気持ちを育てるためじゃない
簡単だけど、すごく威力のある
あなたが周りの人を幸せにできること
「ありがとう」を言う意味わかった?